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完全な球体、もしくは座敷わらし [それから]

3日間ぐらいはずっとメソメソしていたが、
10日目ぐらいから、いないことに慣れてきた。

でもさみしいから、土日は出かけまくっている。

 仕事から帰るとき、
「今日も茶々をもふもふしよーっ」と思って、
「あ、いないんだった」と思う。

近所で遊べる猫と遊ぶと楽しいけど、前のようには楽しめない。

猫を飼う前は、「猫はかわいい」と単純に思っていたけど、
飼ってみると、濃密な関係を作れて、ますますかわいいと思った。
猫全体のかわいさが、飼っている猫を通じてつながって、完璧な球体になっていた。
でも、飼っている猫がいなくなってしまうと、
自分の猫がいないということがまず悲しい。
純粋には楽しめない。
昔はものを思わざりけり、だ。
猫全体については昔のように、遠くに、漠然としたかわいいがあるのだが、
それは自分とはいまいちつながっていない。
つないでいた自分の猫がいないから、すごく遠くに感じてしまう。
完全な球体は壊れてしまっていて、
目の前の猫がばらばらに存在している。

萩尾望都の『十年目の毬絵』のラストシーンを思いだす。
毬絵さんのことを好きだったが友達に取られてしまった主人公が、
毬絵さんの死で、友達に再会する話。
ラストシーンで、3人で過ごした10年前の学生時代を思い出す、
その絵が、円の中に3人がいるというもの。

茶々丸がいたときは、
猫そのものに対しても、
自分の生活も、
こんなふうだったなあ、と思う。
奥行があって、広がりがあって、でも完璧で。

茶々丸がいない今は、
平面だ。二次元だ。
いや、一次元、点かもしれない。

でも、最初からいなかったのと、
一度はいたけど今いないとでは全然違うよね。

仕事でミスして落ち込んだとき、
猫助けて飼って健康に気を使って最後まで面倒みて、
そんな一大事業を成し遂げた自分すごい、と急に自信を持ったりして。
茶々は本当に、いつまでも、私を幸せにしてくれるなあ。

イキウメの過去公演のDVD『見えざるモノの生き残り』を見る。
座敷わらしの話。
座敷わらしは、突然やってきて、その家を幸せにするんだけど、
願いはかなえてくれないの。
ん? 幸せって、なんなんだろう? という話。
座敷わらしは、満足したら帰るんだって。
それは「満期」って言ってた。

そうか、茶々丸は座敷わらしだったんだ。

座敷わらしは、かたしろを置いていく。

「茶々ただいまー」とドアをあけたら、
夫が聞いてるラジオから、「にゃー」と声が聞こえた。
本当に聞こえた。
でも夫には聞こえなかったそうだ。

見えないだけで、ちゃんといるよ、って言ってるんだね。

IMG_3387.JPG


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ふたたび、本 [それから]

●『風と木の詩』

ジルベールが死んだあとのセルジュの取り乱しっぷりを読んで、
わかるーと思う。笑。

●谷口ジロー『犬を飼う』

タイトルは「飼う」だが、中身は看取る話。
犬は猫よりも具合が悪くなってからが長いという。
我々は一か月ぐらいだったけど、こんなに長く面倒を見るのは、
精神的にもつらいと思う。
涙無しには読めない。

●内田百閒『ノラや』

ずっと怖くて読めなかったが、今なら読めると思って手に取った。

ノラは最初子猫で、しかも外猫で、
それが次第に大人になって、さかりがついて、帰ってこなくなった。
それは、仕方がないような…気も…
当時だったら、よくあることのようにも思う。

でもつらい。つらいということもよくわかる。
どこかで飼われているならまだいいけど、
病気になって帰れないとか、車にひかれたとか、
考えただけで耐えられない。
だから今は外に出さないんだよねえ。

百閒の嘆きっぷりがすごくて、
つらさに共感して泣きつつも、
滑稽で笑ってしまったりもする。
子猫から成猫になるまでのノラのいきいきとした描写も素晴らしい。

むしろ私に響いたのは、
ノラがいなくなって半月後ぐらいから登場したクルツだ。
この猫はしっかり看取ることができた。

伏せるだいぶ前から、すごく甘えるようになった、
よれよれになりながらも外に行こうとするのでとめた、
その日から11日後に亡くなった、
ごはんが食べられなくなり、
牛乳もあげても吐くようになり、
なのに洗面所にのぼったり、
最後の瞬間は「くしゃみをしてる」と思ったらしい。
あああ、わかるわかる。
茶々丸と似てるーーー。

クルツの弟かもって言ってたけど、
全然違くて、かなり年だったのでは?
と思ったら、最後のほうに、
じつはけっこう年だったことがわかった、と書いてあった。
でしょでしょ。

庭に埋まっているけど、でも家の中にもいると思う、
というくだりも、私が思ったことと同じだ。
わかるー、わかるよーー!
内田百閒と同じ結論に達してたよ、私(笑

●石津ちひろ/文 宇野亞喜良/絵『あのねこは』

猫をうしなった後に思い出している。
かなしみを、大事に大事に磨いてとじこめてある。
絵がとってもとっても素敵。
猫の動作とか表情とか、人間との距離感とか、わかるー。

●保坂和志『もう一つの季節』

茶々丸の名前のネタ元。18年ぶりに読み返した。

冒頭から、
主人公が幼かった頃に、当時飼っていた猫と一緒に写っている写真が登場する。
それを何十年も経ってから主人公の息子(くいちゃん)が見て、
写っている子どもが自分の父親であることに驚き、
さらには、写っている猫が死んでしまったということを理解できない、
という場面から始まっていた。

ああ、そうだった。
保坂和志のいいのはこういうところなのだ。

佐々木敦という人の書評にこうある。
「保坂の「猫小説」は、猫という生きものの生態や魅力が事細かに描かれているのでもあるけれど、それ以上に、猫という特別な存在を通して「死」と「生」、そして「世界」と「存在」のことを考える、考え続けるものになっている。」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/jihyou/CK2018040402000250.html
「大切な者を喪った時、その哀しみがあまりにもつらくて、その耐え難い哀しみを何とかしなくてはならない。或る時期以降の保坂和志の小説は、この要請から出発し、今もってその周囲を旋回している。彼の時間論、彼の小説論、彼の哲学は、煎じ詰めれば、すべてがこの要請への応接として構築されている。」
http://gunzo.kodansha.co.jp/18930/26986.html
なんだこの書評、むちゃくちゃかっこいいぞ。

猫を飼うときに、こんな小説から名前を取った自分。

そして18年後に猫が死んで、「死」について知った。
「世界」や「存在」について考えている。

18年前は予想してなかったけど、
まるで、最初からそうなることが決まっていたかのように、
18年間しまっておいた玉手箱をあけたら、
急に煙がでてきたみたいに、
今、猛烈に、保坂作品の中に自分がいる。

●小沢さかえ/絵 保坂和志/作『チャーちゃん』

保坂和志が絵本を出していたとは。
これまた絵がとってもかわいい。油絵なんだって。
チャーちゃんは、保坂和志にとって重要な猫。

「ぼく、チャーちゃん。はっきり言って、いま死んでます」で始まる。
つまり「あの世」が描かれている。

イキイキしてて、楽しそうなチャーちゃん。
こんなに楽しそうなところなら、茶々も幸せだろうな。

と思いつつ、一方で、
いろいろなものが混ざり合い、踊り、歌い、飛んでいるこの天国は、
現世での、あの手触りや、人間と猫としてかかわっていた関係性とは、
すごく違うんだろうな、と思って、
ものすごくさみしくもなる。



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話を聞いてもらう [それから]

一週間後、動物病院に、お菓子と手紙を持って報告に行った。
動物病院ではよくあることだろうと思っていたけど、
いつも往診に来てくれてた先生が涙目で受け取ってくれて、
すごくうれしかった。

18年分の写真からいいものを選んで、グーグルフォトのアルバムにした。
猫を飼ったことのある人に、話を聞いてもらいながらそれを見せると、
みんな涙目になる。

「今でも思い出して泣く」
「何匹看取ってもそれぞれの猫ことを思い出して泣く」
と言う。
そうかあ、そうなのかあ。

旅行のときに預かってもらっていた親戚の家にも、報告に行った。
そこのおうちで直近亡くなった子も、
いつものところで水が飲めなくなったって。
ご飯をほかの子が食べるから自分も食べようとするけど、食べられないとか。
頬がガリガリになったとか。
わかるー。

火葬したそうで、骨壺をあけて骨を見せてくれた。
頭蓋骨の出っぱりがわかった。
飼い主以外にはなつかない猫だったので、
なんと、骨になってはじめて触れた(笑)。
合計7匹飼ってきたけど、どの猫も、その瞬間は見てないそうだ。


参加しているウェブマガジン(http://dosuru40.com/)の仲間の家では、
偶然にも、同じ頃に旅立つ猫が多かった。(ちなみに私のHNは「プリ子」です)

https://tampopotai.exblog.jp/29478616/
同じキジトラだけど女の子。お風呂場に行くのが同じ!

http://dosuru40.com/nankasugoi/65009/
ぺらぺら!


たまに行く古着屋さんでも、話をした。
ちょうど最近、海外に買い付けに行ってる間に猫が危篤になって、
帰ってきたらもう意識がなかったそうだ。
でも、呼びかけたら耳だけ動かしたそうだ。
疲れて寝てしまった間にいってしまったそうだ。


お別れもそれぞれなんだな。

茶々丸も、一番最後は、ずっと、すーっすーっと息だけしていたから、
一人が見ていたとしても、
小さい発作が起きたときにもう一人を呼んで、急いで駆けつけても、
間に合わなかった可能性はある
(たとえばトイレ行ってるとか、ベッドで寝てるとか)。
くはーって息は聞けたかもしれないけど。

だから、最後の瞬間を見れるっていうのは、本当に偶然のようなものだ。
逆に言うと、どんなお別れでも、神様が決めることだし、
その猫が飼い主との関係性の中で、これがベストだと選んだことなんだと思う。


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遍在している [それから]

夜遅くまで、夫と思い出話をした。
茶々丸が若かった頃、どこで寝ていたかなど、
案外思い出せないことが多い。
当たり前すぎて思い出せない、という幸せ。
なくなってはじめて気付く。

そして朝起きて、静かであることに、おののく。

鳴き声、フローリングを歩く爪の音、
ごはんを食べる音、カーペットで爪とぎする音、
いたずらする音、トイレ砂をしゃかしゃかする音…

無音が、不在を知らせている。

旅行に行って帰ってきて、茶々は親戚のところに預けてて、
今日迎えに行くんだよね? だからいないんだよね?

今まで、高齢猫を亡くした話を聞いて、
気の毒だけどよくわからなくて、
そんな長生きしたなら若死によりはいいのでは、とか、
自分にもそんな日がいつか来ると思うと怖いとか、
単純なことしか思えなかったけど、
今ならいくらでも、いくらでも語れる。

後悔がないだけマシなんだろうな。
ああすればよかった、こうすればよかった、とかほとんど無いし、
治療法で悩んだこともない。
そういうので悩んで後悔がある人だともっとつらいんだろうな。

最後看取れたし、やりきった感すらある。

でもさみしいことはさみしいのよーー。

保坂和志の『生きる歓び』、瀕死の子猫を助ける話。
「助からなくても仕方がない」と思うことと、
「できることはなんでもする」は矛盾してなくて、個別に存在する、
ってのがすごくよくわかると思った。

後悔はないし、やりきった感はあるし、すごく幸せだった。
ということと、会えないのがつらいということは、
矛盾してなくて、それぞれが強固に存在している。

茶々はどこに行っちゃったんだろう? 
埋めたからお庭にいるの? 
でも、そのへんのソファとか、本棚の上とか、
いつもいたところに今もいるような気がするし。
いつも心の中にいるし。

夫が『群青』という震災後に作られた歌を聞いている。
こういうとき、また会おうってみんな言うけど、なんでだろう。会えないのに。
と言うと、 会いたいからだよ、と夫が言う。

虹の橋のふもとで飼い主を待ってるっていうのは、
飼い主心をそそる素晴らしい説だ。つくづくそう思う。

こっちから探した方がいい、
よく、庭に出ちゃったかもって焦って探して、
変なところにいたってあったじゃん。
あと、しばらく会わないと飼い主忘れてることあったしねー。
などと思い出話をして、また泣く。

翌日は、じつは観劇の予定があった。二人分のチケット。
ネットで売れなくて、無駄になるけど仕方ないなと思っていたけど、
行けることになっちゃった。
ここのところはまっている劇団イキウメの『獣の柱』。
SFで、不思議なことが起きる。気象現象か、宇宙人か、それとも…。

茶々も、生と死の間を、
きっぱり変わったのではなく、
なだらかに変化したのかも。
または行ったり来たりしたのかも。
または両方なのかも。
くはーって言ってるのに、死んでるかわからないとか、
生と死は明確には分かれていないのではないか。

とすると、ひょっとして、遍在している? 
家にも、我々の心にも、虹の橋にも、天国にも、庭にも、
いろんなところに存在している? 
「神はあまねく存在している」と同じように!


もう会えない、けど、いつも、ずっと、そばにいる。
これも、矛盾しているようでいて、矛盾していないんだ。
「千の風になって」はそういう意味だったんだ。


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最期 [看取り]

5月18日(土)。
鳴き声が聞こえたりして、 あまり眠れない。6時頃に交代する。

状態はきのうと変わらないが、痙攣が増えている。
でも、4月ほどではない。

しっぽに触れたり、お腹のあたりに寄り添いながら、横でうとうとする。

お腹が上下しているかを、ちょくちょく確認。

ああ、息をしている、イコール、生きている、なんだ。

時々短く、ぬおー、ぬおー、と鳴く。息だけの時もある。

水をシリンジであげたら、舌べろんべろんして、
手で口の中の何かを取ろうとする。ごめん、もうやらない。

心拍数112!

顔を上げて、立ち上がろうとする。
すぐにあきらめて、ふわーっと頭を横たえる。
その結果、位置が変わる。
というのを断続的に続ける。

私が横で布団に入っているのを見て、
「あ、お布団入ろうっと」という動作を一瞬して、
ふらーっとまた横たわる。

10時頃からはこれもしなくなる。

手だけよく動かす。
歩いてるつもりなのかな。
よく、最後に手を握ってくれた、顔を触ってくれた、
というのはこういうことなのか。

頭はよだれ、胸は小のにおいがするけど、
体はまだあのいいにおいがする。

腰骨のところがつきだして毛が立っている。
年とって脱水してくると、
だんだん毛が束感をもって逆立ってくるけど、ここまで痩せるとは。

遠くから見ると、薄っぺら!
ぺらっぺら!

12時に夫が起きてきた。
鼻から小さく、息が「すぴー、ぴっ」と、聞こえる。
かわいい! と笑う。

静かに息だけしているのを撫でながらごはんを食べて、
まだまだ先は長いんじゃないかと思い、
さて何か(映像コンテンツ)見ようかな、と話していたら。

突然、急に口を苦しそうにする。
ぐわんぐわんと。
防水シーツを激しく噛む。発作かな? 
4月16日の激しい発作の、ごく小さい版という感じ。
ほんの数分。

それからすぐ、
「くわー」っていう呼吸を10回ぐらい断続的にする。
この時すでに心臓の音は確認できない。
お腹も上下していないように見える。

でも「くわー」って言ってるので、まだ生きてるの?? 
何度も「茶々」「茶々」って呼び掛けてたら、
最後に二回、口を、「かっ」とあけしめした。

息をしてない。
持ち上げてもだらん。
「今起きないと埋められちゃうよー」と話しかける。
14時半ちょうどぐらい。

ああ、最後の瞬間というのは、わからないものだ。

抱っこすると軽くてぐにゃぐにゃ。
目やにをべりっと取ってあげた。
もう嫌がらない。
頬骨まわりがガリッガリでぎょっとする。

ちょうど庭で咲いていた薔薇を切ってきて、
回りに置いて写真撮影。
ひげと、 大好きな頬の毛を記念に少し切る。
その間、夫が庭の土を掘る。
この週末、掘ろうと思っていたのに、思っていたよりも早かったなあ。


0518.JPG


「水飲まなくなって3日」というから、
もう少しあとかと思ってた。
ふらーっと顔上げてたけど、あれは、意識ない扱いだったのかな。
だとしたら、歩けなくなって、と同時にほぼ意識なくなって18時間ぐらいか。

さいごの苦しみはほんの短い時間だった。
発作らしい発作ではなかったし。
あまり苦しまなくて良かった。

復活して1ヶ月ってのは、
ネットで読んだ例で複数あった。
自力で食べられなくなって一週間、飲めなくなって2日だったね。

5週間の合宿が終わった。

土曜日、二人ともそばにいて、
ちょっとくつろいでいたときに。
その瞬間にいれて良かった、ほんとに。
その瞬間がいつだったのかわかんないけど 笑。

そういえば今夜は満月だ。


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意識がなくなる [看取り]

5月17日(木)。
朝、トイレの外で、小をしていた。
ずれちゃったけど、頑張ったんだね。えらいね。

よれよれのさらによれよれで、
お風呂場に行こうとするが、途中で倒れてしまう。
きのうも休み休みだったけど、完全に横たわる。
なんとかお風呂場に行くが水は飲めないので、シリンジであげた。
もういいと言われたので やめた。
お風呂場の床でじっとしてる。 

今まで、 水飲める、歩けるということを目安にしてたけど、
ついに来たかという感じ。

なぜか体温を測らせてくれない。心拍数は大体同じ感じ。
舌を空中でべろんべろんした。

https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=47327&id=43710453
口が閉じて8日、水に口をつけなくなって2日目、
3日前から食べなくなったと書き込んでから1日半、
体温を下げるためにお風呂場に行くという話もあった。
そうか、だから体温を測らせてくれないのか?

そういえば、茶々はよく人間を舐めてくれる子だった。
こうなってからはずっと舐めてくれてないかな? 
一瞬復活したときに少し舐めてくれたかもな。
あと気になるのが、あくび。
チュールもなめられなくなってからは、していないと思う。
それほど口の中が気持ち悪い、痛い、のだろう。

夜中鳴いてたな。
朝も、ふとしたときに鳴く。
こんなによれよれなのに。
最初に会ったときも、よく鳴いてたもんね。

気をしっかり持とう。
茶々のしたいようにしよう。
声かけてあげよう。
鳴いたら行ってあげよう。
感謝を伝えよう。
と思いながら仕事に行く。

昼、窓際に行ってお庭を見ていたそうだ。

夜、仕事から帰ってきたら、
お風呂場で夫が茶々を洗ってた。

なにごと!?

夜ご飯作る前はカーペットにいたそうだ。
最後の力でトイレへ。
これが自力で歩いた最後。

トイレでまた外にしてしまって、そこで倒れてしまっていたらしい。
ご飯を作ってて気づかなかったとのこと。
上半身に小がついちゃったから、
急いで、お風呂場で洗ってあげているとのこと。
あああ。
最後までトイレ頑張ったんだね。えらいね。

洗面所にペットシーツ敷いて(初登場)、
濡れタオルでさらに拭いて、ドライヤーで乾かした。
素敵なマフラーがくさいのはかわいそうだもんね。

リビングに移動する。 


0517.JPG


顔突っ伏したり、真横になったりして寝てる。
時々顔を上げる。
短く鳴く。
なんとか歩こうとして、上半身持ち上げて、ぱたっ。

水をシリンジで口の横からあげたら、
舌べろんべろんして、手で口の中の何かを取ろうとする。
そうか、よほど痛いのだろう。
舌をべろんべろんしてたのは、そういうことだったんだ。

鼻すぴすぴしてる。
目やにが固まって気の毒。
自分でお手入れできてないからね。
目に力がない。目薬に抵抗する力もない。

体温計が壊れているのか、低すぎるのか、測れない。
測れても32.2とか。
確かに触るとかなり冷たい。32.2なのかも。
お腹だけが仄かに暖かい。心拍数130!

時折顔を上げるが、基本意識がない。
夜も6時間交代制で起きていることにする。
まず私が寝て、夫が起きている。


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水を飲めなくなってきた [看取り]

5月16日(水)。
大にチャレンジするが出ない。
小少し。
小の量はすごく減っているが、自分で定期的にしているのはすごい。


窓際でお庭を見て、遠くの部屋まで行って、お風呂場に行って、とうろうろ。
いい場所を探しているのか!? 
それとも、最後にパトロールしてるのか?

動物は最後まで生きようとするものらしい。
だから、場所を探しているのは、
死に場所ではなくて、
「安静にしたい」ということなんだって。
我々が食べろ食べろってうるさくかまうのが嫌なのかしら。

夫の膝に乗った。
これが最後のお膝になった。

うろうろにつきあってあげたかったので、仕事は遅刻…。


夜、 鼻がつまってるので目薬をする。
よだれの取れにくいのを吸ってあげようと思って吸ってみたら、
しょっぱいのと、目薬が苦いのと 笑。
こんな苦いの、よく頑張ってたね。そりゃ嫌がるよね。


体温35.5、低い。
かなりよれよれ。目に力がない。
一応顔は上げる。
飼い主座布団する元気もなさそう。
私が横になっているのを見て、
「やる気はあるんだよ」的に、「にゃー」と鳴いた。

体重なんと2.8!
事故から回復してうちに来たとき2.7だった。
心拍数144。かなり少ない。

またお風呂場に行くが、水を飲もうとしても飲めない。


0516.JPG
洗面所で。私のスリッパの上に乗るのが好き。


お風呂場の床で横になってしまう。

夫は摘便やデスパ、さらなる強制給仕を提案するが、自分は反対。
シリンジで水だけあげた。

舌を空中でべろんべろんするような、
なんか変なものが口に入っちゃったから取りたい、みたいな動作をした。


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水に血がまざる [看取り]

5月15日(水)。
水の中に血の小さなかたまりが! 

口の中の潰瘍が出血しているってことだ。
ブログとかで知っておいてよかった。
一応、デスパした。
小も少しだけあった。


4月16日の発作のとき、三途の川まで行ったよね、きっと。
だったら、どうして戻ってきたんだろう。
向こうにいるお兄ちゃん(多分。駅前で一緒にいた子)とか、
我々の知らないお母さんとかに、
なんて言われて戻ってきたんだろう。
「もうちょっと人間のお母さんとお父さん
(そんな言い方しないか、下僕か? 笑)
に甘えてきなよ」って言われたのかな? 
だったら、たくさんたくさんかわいいかわいいするのが一番だね。


お風呂場に何回も行って20分ぐらいじっとしてた。

飼い主座布団もする。
ほんとかわいい。かわいいかわいい。

0514.JPG

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強制給仕 [看取り]

5月10日(金)。
体温35.7。低い。

いつもの水の前で固まってる。
近くに別の水がないか探す動作をしている。
一応飲んだが。

全体的に、水もパウチも飲み食いする量はだんだん減っている。

水が飲みたいのに飲みにくい。
食欲も一応あるのに食べにくい。ううう。
なんとかしてあげたいなあ。

チュールも買ってみた。
といっても総合栄養食と銘打たれているものだけど。
人生初チュールだよ。少し舐めた。


5月11日(土)。

昼間はひたすら寝てる。
呼吸14。少ない。

チュールも舐めない。よだれが下に垂れる。気持ち悪そう。

今まで一日一回は小をしていたのに、今日は小をしてない! 
飲む量が減ってるからだ。

ついに、強制給仕することにした。
今まで、ワックスをあげるときなど、
鼻の下に塗ってそれを舐めさせる、というやり方にしていたけど、
それでは舐められない。
舌が動かしにくいのだろう。

無理やり口あけて上あごにつけたら、
一瞬、目がきらーんとして のみこんだが、気持ち悪そう。
ぬおーんって低く4回鳴いた。


お風呂場にまた行って、洗面器で水を飲む。
バスタブ裏で固まりそうだったので、連れ帰った。
(我が家のお風呂は、バスタブをタイルの床に置く形)

1人になりたいのだろうか。
でも、飼い主座布団もするしなあ。

5月12日(日)、未明に小してた。二日ぶり。

チュールに興味があっても舌が出ない。
強制給仕のおかげか、食欲が出てきたみたいで、
いつものごはん場所によろよろと移動するが、
やはり舌が出ない。

窓際でお庭を見たり、移動はする。
強制給仕すると、足が少ししっかりする。


布団で一緒にお昼寝する。

弱ってきたら見ていられないんじゃないかと思ってたけど、
そんなことはなくて、
そんな状態でも、というかそんな状態だからこそ? 
ますますかわいい。
これは発見。

0511.JPG


一応、ペットシーツを買ってきた。


水飲みたくても飲めなそうだったので、
シリンジで数滴あげたら、自分で飲んだ! 
呼び水的な。

5月13日(月)、朝少し歩いて鳴いてご飯要求、 強制給仕。
鳴き声が聞こえるとうれしい。

強制給仕のとき見えるのだが、
右の牙の回り(上顎側)が赤い。
もとから懸案の左は、 赤くない。こっちは唇側がひどいんだろう。

体温37.4。強制給仕すると体温上がる。

鳴く=食欲があると判断して、鳴いたときにあげることにする。
1日で5回ぐらい。量としてはすごく少ない。

飲み込めなくなる日が来るんだろうか。
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本やブログ [看取り]

参考になるかなと思って、『チロ愛死』以外にも、
いくつか本やブログを読んだ。

●大島弓子の『グーグーだって猫である』。

すでに読んだことはあったけど、
看取りの経過として再度読み返す。

茶々丸は、性格的にグーグーに似ていると思うので、
最後も似る、かな??

お水の前で「飲めないよー」って動けなくなってたとか、
ああ、そうだろうな、としみじみ。

●横森里香『ファナという猫』。

文章が攻撃的だし、他の猫を悪く言うので疲れたが、
猫が心配で心配でたまらないというのは、共感する。
なんと、登場する元夫というのは白川道なのだそうだ。

興味本位で近況を検索したら、
後半登場する彼氏と結婚したっぽい。
今も猫を飼っていて、ファナのときに半狂乱になったけど、今は慣れたとのこと。へ~~。

●ブログいろいろ

「猫 最期」で検索すると、ガイド的なものがヒットするけど、
そういう一般論じゃなくて、個別の話が知りたかった。
画像検索して、素人のブログっぽいかどうかを判断して、読んだ。

動けなくなって、食べなくなって、飲まなくなって…、
それらから最後が何日後かが知りたくなってしまう。
(どうしても「予定」や「見通し」にこだわってしまう自分)

3日の子もいれば、一週間の子もいる。
朝食べてたのに突然っていう子もいる。

がりっがりになるのが多いけど、
それほどでもない子もいる。

大体、意識なくなったり呼吸が荒くなってから
半日から1日、2日ってところかなあ。

口の潰瘍から出血することがあるらしい。

お水は最後まであげてもいいみたい。

飼い主がふと目をはなした(トイレとか)すきにっていうのがけっこうある。

いろいろなんだなあ。

https://realtribe.blogspot.com/2017/09/26.html

https://boochin.exblog.jp/14229207/

https://blog.goo.ne.jp/sabanako/e/53116421973cf3c27cadb73b34b7df48

https://ameblo.jp/ganbarumei/entry-10494943497.html

http://tantotempo.blog11.fc2.com/blog-entry-654.html

https://nijino-ehon.blog.so-net.ne.jp/2012-09-08-1

http://www6.speednet.ne.jp/nekojarasi/hpdeta/newpage32.html


●加藤由子『猫とさいごの日まで幸せに暮らす』

これはとても良い本だった。
老齢になった猫との暮らし方については、
自分たちのやり方は正しかったな、
と確認するのがほとんどだったけど(えへん)、
看取りについて、
「猫の一生を担った人は猫を幸せにした人」という言葉が、
私の考え方を変えた。
というか救ってくれた。

いなくなってしまうことがさみしい、つらい、悲しいとばかり思っていたけど、
最後をちゃんと看取るってことは、
猫を幸せにするってことなんだ。
だったら、それは誇りに思っていいことなんだ。
この道のりは、悲しいことじゃなくて、幸せなことなんだ。

そう思えたのは、大きな変化だった。


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